海底ケーブルを巡る米中対立と台湾リスク
世界の国際通信の99%は、海の底を這う一本一本の光ファイバーケーブルを通っている。衛星ではない。クラウドのデータも、国際金融の決済も、いま読んでいるこのページも、ほぼすべてが海底ケーブルを経由する。だからこそ、ケーブルのルートを誰が引き、誰が所有し、どの国の海を通すのかが、そのまま国家間の力関係に直結する。海底ケーブルは、21世紀の地政学が最も生々しく現れる舞台になっている。
## 米中対立が凍結させた香港直結ケーブル
2020年、アメリカ政府が打ち出した「クリーンネットワーク」構想は、中国企業が関わる海底ケーブル計画への明確な圧力だった。その象徴がPacific Light Cable Network(PLCN)である。GoogleとMetaがロサンゼルスと香港を結ぶ大容量ケーブルとして計画したものの、コンソーシアムに中国の鵬博士電信(Dr. Peng Telecom)が加わっていた点が、安全保障上の懸念を呼んだ。
米連邦通信委員会(FCC)は、香港への接続を認めなかった。すでに敷設を終えていたケーブルは、行き先をフィリピンと台湾だけに絞る形で運用が始まる。これ以降、中国本土へ直結する米国発の新規ケーブルは、事実上凍結された状態が続いている。
押し返された中国側も手をこまねいてはいない。中国聯通(China Unicom)やHMN Technologies(華為海洋の後身)が、東南アジア・アフリカ・南米へ向けたケーブル計画へ次々と参画している。アメリカ資本に頼らない通信網を自前で築く——その意思は明確だ。海という見えない場所で、技術覇権の綱引きが進んでいる。
## 幅130kmの台湾海峡に集中する14本のケーブル
台湾には14本以上の海底ケーブルが陸揚げされ、東アジア有数の通信ハブを形づくっている。弱点は、その通り道にある。多くのケーブルが、幅わずか130kmしかない台湾海峡に密集して走っているのだ。軍事的な緊張が高まれば、意図的な切断も、紛争に巻き込まれる偶発的な損傷も起こりうる。
脅威は政治だけではない。台湾のケーブルは[漁船による事故](/articles/cable-enemy-ranking)でも繰り返し傷ついてきた。2023年に馬祖列島をつなぐケーブルが切断され、離島の通信が長期間にわたって乱れた事故は記憶に新しい。海峡を行き交う漁業活動の活発さそのものが、日常的なリスクになっている。
そこで進むのが、リスクの分散だ。台湾の東海岸、つまり太平洋側に陸揚げする新ルートが検討されている。海峡を迂回すれば距離は伸びるが、地政学的にも物理的にも危険度は大きく下がる。一点に集中させない。インフラ防衛のこの発想が、ケーブル敷設の地図を静かに書き換えつつある。
## 紅海に並ぶ15〜20本と、2024年のフーシ派被害
ヨーロッパとアジアを結ぶケーブルの大半は、紅海からスエズ運河を抜けて地中海へ至るルートを通る。この狭い海域には推定15〜20本のケーブルがひしめき、世界で最もケーブルが密集する場所の一つになっている。
2024年、その紅海で[ケーブルの損傷](/news/red-sea-cable-damage)が報告された。フーシ派による商業船舶への攻撃に巻き込まれた被害とみられている。海底ケーブルが軍事紛争の巻き添えになるという、これまで理論上のものでしかなかったリスクが現実になった瞬間だった。一本のルートに依存しすぎる危うさが、あらためて突きつけられた。
代替として浮上するのが、アフリカ南端の喜望峰を回るルートや、アジアと北米を直結する経路である。遠回りでも、紛争地帯を避けられる安全性には代えがたい価値がある。
## スエズ経由22,000kmを14,000kmに縮める北極ルート
温暖化が、皮肉にも新しいケーブルルートを生んだ。北極海の氷が後退したことで、ヨーロッパとアジアを[北極海経由](/news/arctic-cable-route)で結ぶ敷設が、技術的に現実味を帯びてきた。
最大の魅力は遅延の短さにある。ロンドンと東京を結ぶ距離は、スエズ運河経由なら約22,000km。これが北極経由だと約14,000kmまで縮む。通信の遅延はおよそ30%短くなる。ミリ秒を争う金融取引やリアルタイム通信にとって、この差は決定的だ。
ただ、実現への道は平坦ではない。北極海底の地形調査は不十分で、敷設コストは高い。ロシアの排他的経済水域を通る可能性があり、許可をめぐる政治交渉が避けられない。温暖化で氷山の漂流パターンが変わり、ケーブルへの物理的な脅威を予測しにくいという難題も残る。複数の計画が動いてはいるが、いつ開通するのかはまだ見えない。
## テック企業が自前で持つプライベートケーブル
Google、Meta、Microsoft、Amazon。巨大テック企業が自社専用の海底ケーブルを建設する流れが強まっている。かつてケーブルは、通信事業者が共同出資するコンソーシアム方式で造るのが当たり前だった。いまは各社が自社のデータセンター同士を直結する専用線を持ち、容量もルートも運用も、自分の裁量で握ろうとしている。
この変化は地政学的にも重い意味を持つ。世界の通信インフラの所有者が、国家や通信事業者からアメリカの民間企業へと移りつつあるからだ。ケーブルをどこに引き、誰につなぐのかという判断が、一企業の経営戦略に左右される時代に入っている。
## 見えない海底に引かれる、もう一つの国境線
海底ケーブルは、地図に描かれない国境線だ。どの海を通り、誰が所有し、有事にどこが切れるか。その一本一本が、データという現代の資源の流れを決めている。台湾海峡を迂回するルート、北極を抜ける近道、テック企業が握る専用線——いずれも、通信の効率だけでなく、特定の国や勢力への依存をどう減らすかという計算の上に引かれている。
次に世界のどこかで紛争が起きたとき、真っ先に注視されるのは制空権でも制海権でもなく、その海域を走るケーブルかもしれない。深さ数千メートルの暗闇に横たわる細い線が、これからの国際秩序を静かに左右していく。
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出典
- Council on Foreign Relations: 海底ケーブルと地政学に関する分析
- Wikipedia - Submarine communications cable: クリーンネットワーク政策と海底ケーブルへの影響