海底ケーブルの建設費はいくら?通信速度を100倍にした技術の正体

海底ケーブルの建設費はいくら?通信速度を100倍にした技術の正体

基礎から押さえる

世界の国際通信の99%は、総延長130万キロメートルを超える海底ケーブルによって支えられている。これは地球を30周以上するほどの長さだ。私たちが日常的に利用するインターネット、動画配信、国際電話のほとんどが、深海に敷設されたこの「情報の動脈」を流れている。しかし、この巨大インフラが誰によって、どのように作られ、いかなる技術で進化してきたのか、その実態はあまり知られていない。本記事では、海底ケーブルの裏側にある技術、ビジネス、そして地政学の力学を解き明かす。 ## 光ファイバー1本で毎秒200テラビットの衝撃 現代の海底ケーブルが驚異的な通信容量を実現している背景には、2010年代に起きた技術革命がある。それは「コヒーレント伝送技術」の導入だ。それ以前の技術は、光の「オン(強)」と「オフ(弱)」だけで情報を送る、いわば光の点滅によるモールス信号のような単純な仕組みだった。これでは送れる情報量に物理的な限界があった。 コヒーレント技術は、この常識を覆した。光を単なるオン・オフのスイッチとしてではなく、「波」として捉え、その性質を最大限に活用する。具体的には、光の強さ(振幅)だけでなく、波の周期的な揺れのタイミング(位相)や、波が振動する面の向き(偏波)も情報として載せるのだ。これにより、一度に送れる情報量が飛躍的に増大した。ラジオ放送が、音の強弱で伝えるAM方式から、周波数の変化で高音質に伝えるFM方式に進化したのに似ている。 この多重化を支えるのがQAM(直交振幅変調)という仕組みだ。位相と振幅の組み合わせで複数の状態を定義し、例えば64パターン(64QAM)を使えば、1回の信号で6ビット(2の6乗)の情報を送れる。これを高速で繰り返すことで、大容量伝送が実現する。しかし、長距離を伝わるうちに光の波は歪んでしまい、情報が壊れてしまう。ここで決定的な役割を果たしたのが、DSP(デジタルシグナルプロセッサ)と呼ばれる超高性能チップだ。このチップが、受信側で歪んだ信号波形を瞬時に計算し、元のきれいな形に復元してくれる。このデジタル補正技術があったからこそ、コヒーレント伝送は実用化できたのである。この革命により、海底ケーブル1本あたりの通信容量は、わずか数年で100倍以上に跳ね上がったのだ。 (引用: 資料3) そして今、技術は次のステージへ向かっている。SDM(空間分割多重)と呼ばれる、1本のケーブルに収める光ファイバーの芯(コア)そのものを増やすアプローチだ。従来のケーブルが数ペアのファイバーだったのに対し、最新のものは24ペア、32ペアといった多芯化が進む。コヒーレント技術による「1車線あたりの輸送量」の向上と、SDMによる「車線数」の増加。この2つの組み合わせが、AIやIoTが爆発的に生み出すデータ需要を支える次世代の海底ケーブルを形作っていく。 ## 数百億円の巨大プロジェクト、誰が金を出すのか? 太平洋を横断するような海底ケーブルの建設には、数百億円規模の莫大な費用がかかる。この巨額の投資は、いったい誰が負担しているのだろうか。その答えが「コンソーシアム」という仕組みにある。 コンソーシアムとは、一つの海底ケーブルプロジェクトのために複数の通信事業者が結成する共同事業体のことだ。NTT、KDDI、SoftBankといった日本の大手から、世界各国の通信キャリアまでが参加し、共同で資金を出し合い、ケーブルを建設・所有する。まるで、複数のデベロッパーが共同で巨大なショッピングモールを建設するようなものだ。 (引用: 資料2) 費用負担と権利の配分は明確だ。例えば総工費500億円のケーブルプロジェクトで、ある事業者が20%にあたる100億円を出資した場合、その事業者はケーブル全体の通信容量の20%分を使用する権利(IRU: Indefeasible Right of Use)を得る。これにより、一社ではとても負担できない巨大プロジェクトのリスクを分散し、コストを抑えながら国際的な通信網を確保できるのだ。これがコンソーシアム型の最大のメリットである。 しかし、この仕組みには課題もある。参加企業が多いため、ルートの選定、技術仕様、出資比率の決定といった合意形成に長い時間がかかる。各社の思惑がぶつかり合い、プロジェクトが始動するまでに数年を要することも珍しくない。 近年、この伝統的なモデルに変化が起きている。Google、Meta (Facebook)、Amazon、Microsoftといった巨大テック企業(GAFA)が、自社のデータセンター間を結ぶために、自ら巨額の資金を投じて「プライベートケーブル」を建設するようになったのだ。コンソーシアムが乗り合いの公共バスだとすれば、プライベートケーブルは自社専用の高速道路である。意思決定が速く、自社のサービスに最適化できるメリットは大きい。世界のデータ流通量が爆発的に増加するなか、誰が情報の海のハイウェイを支配するのか、その主導権争いは激しさを増している。 ## 日本海を渡る、最も複雑な一本のケーブル 海底ケーブルは、純粋な技術やビジネスだけで動いているわけではない。そのルートや所有者は、国際政治の力学に大きく左右される。その象徴とも言えるのが、日本とロシアを直接結ぶ「Russia-Japan Cable Network(RJCN)」だ。 このケーブルは、新潟県直江津とロシアのナホトカを約1,800kmで結ぶ。2008年に日本のKDDIとロシアの国営鉄道系通信会社TransTeleComの共同事業として建設された。当時は日露の経済協力を象徴するプロジェクトの一つであり、日本のインターネットトラフィックがシベリア鉄道沿いの陸上ケーブルを経由してヨーロッパへ至る、新たなルートを開拓する狙いがあった。 (引用: 資料1) しかし、その後の国際情勢の激変は、このケーブルの運命を大きく変えた。2022年のロシアによるウクライナ侵攻後、欧米諸国や日本はロシアに厳しい経済制裁を科した。多くのデジタルサービスがロシアから撤退し、新たな海底ケーブル計画も中断された。だが、RJCNは今も静かに稼働を続けている。それは、このケーブルが日本とロシアを物理的に繋ぐ、残り少ないデジタルの生命線だからだ。 RJCNの通信容量は640Gbpsと、現代の基準では非常に小さい。それでも、このケーブルが存在し続けることには、戦略的な意味がある。通信インフラは、一度断絶すれば再接続が難しい。外交関係が悪化する中でも通信路を維持することは、将来の対話の可能性を残す上でも重要となる。RJCNは、海底ケーブルが単なる通信の道具ではなく、国家間の関係性を映し出す地政学的な存在であることを、我々に強く教えてくれる。「地政学的に最も複雑な海底ケーブルの一本」と言われる所以だ。 ## 情報の海が映し出す、新たな世界地図 海底ケーブルの世界は今、大きな変革期にある。その未来は、これまで見てきた技術、ビジネス、地政学という3つの要素が、より複雑に絡み合いながら形作られていくだろう。 技術的には、AIの学習や運用に必要な膨大なデータを処理するため、コヒーレント技術とSDM技術を組み合わせた「超多芯ケーブル」が主役となる。これはもはや、単なる通信容量の増加ではない。どこに、どれだけの太さのケーブルを敷設するかが、その地域のデジタル経済の発展、ひいては国力を左右する時代に突入することを意味する。 ビジネスの構図も変わり続ける。GAFAによるプライベートケーブルの建設はさらに加速し、伝統的なコンソーシアムとの役割分担が進むだろう。さらに、国家が安全保障を目的として、特定のルートのケーブル建設を支援する動きも活発化している。経済合理性だけでは測れない、戦略的なインフラ投資が新たな潮流となるのだ。 そして何より、地政学的なリスクは高まる一方だ。海底ケーブルの意図的な切断や盗聴は、現代の戦争における有効な攻撃手段と見なされ始めている。どの国の沖合を通り、どの国の陸揚げ局に接続するのか。ケーブルのルートそのものが、国際社会の新たなパワーバランスを映し出す鏡となる。情報の海の底に引かれる線は、21世紀の新たな世界地図を描き出しているのである。

この記事は信頼性の高い業界情報源に基づき作成し、編集部が内容を確認・監修しています。お気づきの点はお問い合わせよりお知らせください。

よくある質問

海底ケーブルが切れたらどうなるのですか?
1本のケーブルが切れても、世界中に張り巡らされた他のケーブルを経由する「う回ルート」が自動的に確保されるため、直ちに通信が途絶することはありません。ただし、複数のケーブルが同時に損傷すると、通信速度の低下や不安定化が起こる可能性があります。
海底ケーブルの建設費用は具体的にいくらくらいですか?
ケーブルの距離や容量で大きく変動しますが、太平洋を横断するような長距離ケーブルでは、総工費が300億円から600億円規模に達することもあります。この費用を、コンソーシアムに参加する複数の通信事業者などが共同で負担します。
サメが海底ケーブルを噛むというのは本当ですか?
過去にサメがケーブルを噛む映像が確認されたことは事実です。ケーブルから発せられる電磁場に興味を持つためと考えられていますが、頻繁に起きるわけではありません。現在のケーブルは鋼線などで強固に保護されており、通信障害につながることは極めて稀です。

出典

海底ケーブル通信インフラテクノロジー地政学