海底ケーブルが切れたら?太平洋1万kmを結ぶ光の道の裏側

海底ケーブルが切れたら?太平洋1万kmを結ぶ光の道の裏側
2002年、三重県志摩市と米国オレゴン州を結ぶ太平洋の海底に、全長約10,000kmにわたる1本の光の道が敷かれた。これが「TGN-Pacific」ケーブルだ。もし、この巨大な通信インフラが深海で切断されたら、私たちのインターネットはどうなるのか。結論から言えば、通信が完全に途絶することはない。なぜなら、現代のグローバル通信網は、複数のケーブルが互いを補い合う、驚くほど強靭な設計になっているからだ。この記事では、私たちの知らない海底ケーブルの世界、その歴史と戦略の裏側を解き明かしていく。 ## 太平洋1万kmを越える「TGN-Pacific」― 欧州企業が日本に上陸する理由 太平洋を横断するケーブルは数多く存在するが、2002年に稼働を開始した「TGN-Pacific」は少し変わった出自を持つ。所有するのは、スウェーデンに本拠を置く通信キャリア、Arelion(旧Telia Carrier)だ。なぜ、ヨーロッパの企業が日米間の太平洋横断ケーブルを必要とするのか。その答えは、彼らのグローバル戦略にある。 Arelionの狙いは、欧州からアジアまで、可能な限り自社のネットワークだけで通信サービスを完結させることだ。他社のネットワークを経由すると、品質のコントロールが難しくなり、接続コストもかさむ。TGN-Pacificを自前で持つことで、大西洋を渡り、アメリカ大陸を横断し、そして太平洋を越えてアジアに至るまで、一気通貫のサービスを提供できる。これは、顧客に対して高品質かつ競争力のある価格を提示する上で、絶大な武器となるのだ。 このケーブルが計画された2000年代初頭の仕様は、2ファイバーペアで毎秒1.28テラビット(Tbps)というものだった。現代の最新ケーブルが毎秒数百テラビットに達することを考えれば見劣りするが、当時は最先端の技術。重要なのは、この物理的な「道」を自ら所有しているという事実である。自動車メーカーが、自社専用の高速道路を持つようなものだ。これにより、Arelionはグローバルなデータ流通の主導権を握る競争に参加している。 > TGN-Pacificは日本の志摩と米国オレゴン州のバンドンを結ぶ、全長約10,000kmの太平洋横断ケーブルである。2002年に稼働を開始し、当初の設計容量は1.28Tbpsだった。欧州の通信キャリアArelion(旧Telia Carrier)が所有し、欧州からアジアまでのエンドツーエンド接続を実現するグローバルバックボーンの重要部分を担う。 > [出典: TGN-Pacificケーブル解説 ― スウェーデンのArelionが持つ太平洋横断ルートの存在意義] ## 通信バブルが生んだ巨大遺産「FNAL/RNAL」 海底ケーブルの歴史を語る上で、2000年前後のITバブル、通称「ドットコム・バブル」は避けて通れない。当時、インターネットの爆発的な普及を当て込み、世界中で野心的なケーブル敷設プロジェクトが乱立した。その一つが、1997年に設立されたベンチャー企業、FLAG Telecomが計画した「FLAG North Asia Loop(FNAL)」だ。 このケーブルは、千葉県南房総市の丸山を起点に、韓国、中国、香港、台湾を経由して再び日本に戻る、全長約11,500kmのループ状のルートを描く。北東アジアの主要経済圏をリング状に結ぶという、実に巧みな設計だった。しかし、壮大な計画とは裏腹に、FLAG Telecomは通信バブルの崩壊とともに経営危機に陥り、このケーブル資産は香港の通信事業者REACHに引き継がれることになる。「FNAL」は「REACH North Asia Loop(RNAL)」と名を変え、今なおアジアの通信を支える大動脈として生き続けているのだ。通信バブルの敗者が残した、壮大な遺産である。 ## なぜケーブルは「ループ型」で設計されるのか? FNAL/RNALが採用した「ループ(リング)型」設計は、読者の「ケーブルが切れたらどうなる?」という根本的な問いへの答えそのものだ。ループ状になっていることで、万が一道中の一箇所でケーブルが切断されても、通信は瞬時に逆方向に切り替わり、流れ続けることができる。いわば、常にバックアップルートが確保された状態にあるわけだ。 例えば、韓国と中国の間で断線が発生したとしよう。ループ型でなければ、韓国から中国や香港への通信は完全に途絶するかもしれない。しかし、FNAL/RNALのような設計であれば、通信は日本、台湾、香港を経由する逆回りのルートを通り、目的地に到達できる。この高い可用性こそ、金融取引や企業活動など、一瞬の途絶も許されない通信を支える生命線なのだ。地震や船舶の錨による切断事故は決して珍しくない。だからこそ、こうした冗長化設計が極めて重要になる。 > FNAL/RNALは、日本(丸山)を起点に韓国、中国、香港、台湾を巡り、再び日本に戻る全長約11,500kmのループ状海底ケーブル。この設計により、一方向で断線が発生しても逆方向のルートで通信を継続できる高い可用性を実現している。 > [出典: FNAL/RNALケーブル解説 ― FLAG TelecomからREACHへ受け継がれた北東アジアループ] ## アジア域内をつなぐもう一つの大動脈「TGN-IA」 Arelionの戦略は、太平洋横断ケーブルだけで完結しない。彼らは同時に、アジア域内を結ぶ「TGN-Intra Asia(TGN-IA)」というケーブルも敷設した。これは、日本の志摩から韓国、香港を経由してシンガポールに至る、全長約6,700kmのルートだ。 このTGN-IAの存在によって、Arelionのグローバルネットワークは完成する。TGN-Pacificでアメリカから日本に到達した通信は、TGN-IAに乗り換えることで、アジアの主要拠点である香港やシンガポールまでシームレスに届く。逆に、シンガポールから発信されたデータも、同じ道筋をたどってヨーロッパまで到達できる。この二つのケーブルは、いわば一心同体の関係なのだ。欧州キャリアがアジア域内のケーブルまで自前で保有する理由もここにある。断片的なルートを繋ぎ合わせるのではなく、初めから終わりまで一貫した「自社製ハイウェイ」を構築する。それが彼らの競争力の源泉なのだ。 > TGN-IAは、日本の志摩から韓国、香港、シンガポールを結ぶ全長約6,700kmのアジア域内ケーブル。TGN-Pacificと連携することで、Arelionは太平洋を越えてアジアの主要拠点まで一貫したネットワークを提供できる。 > [出典: TGN-IAケーブル解説 ― Arelionのアジア域内グローバルバックボーン補完ルート] ## 海底ケーブルの「陸揚げ局」とは何か?なぜ志摩や丸山なのか 海底ケーブルの話題で必ず登場するのが「陸揚げ局」だ。これは、深海を旅してきた光ファイバーケーブルが、初めて陸地の設備に接続される重要拠点である。いわば、海の道と陸の道の結節点だ。日本が多くのケーブルの陸揚げ地点として選ばれるのは、島国という地政学的な優位性もさることながら、特定の地域にその機能が集中している。 代表的なのが、千葉県の千倉・丸山エリアと三重県の志摩エリアだ。なぜこれらの場所なのか。理由はいくつかある。第一に、太平洋に直接面しており、米国やアジア方面へのケーブルを最短距離で引き込みやすいこと。第二に、沖合の地形が比較的平坦で、ケーブルの敷設作業がしやすいこと。そして、漁業権などの調整がしやすく、地震や津波のリスクが比較的低い安定した地盤が選定される傾向にある。 これらの陸揚げ局には、国内外の様々な通信事業者のケーブルが集結し、さながら国際通信のハブ空港のような様相を呈している。私たちが普段意識することのない静かな海辺の町が、実は世界の情報を繋ぐ最前線なのだ。 ## 主役が交代する通信インフラの未来 ここまで見てきたTGNやFNAL/RNALといったケーブルは、2000年代初頭に敷設された、いわばベテラン選手だ。もちろん、末端の伝送装置を更新することで、設計当初の数十倍、数百倍もの通信容量を実現し、今なお現役で活躍している。しかし、世界のデータ通信需要は、AI、クラウド、高精細な動画ストリーミングの普及により、まさに爆発的な勢いで増え続けている。 この巨大な需要を背景に、近年、海底ケーブルの世界では新たなプレーヤーが主役となりつつある。Google、Meta、Amazonといった巨大テック企業だ。彼らはもはや通信キャリアから帯域を借りるのではなく、自ら巨額の資金を投じてケーブルを敷設し始めている。通信インフラの担い手が、伝統的な通信会社から、データを生み出し消費する張本人であるテックジャイアントへと移り変わる地殻変動が起きているのだ。 そんな時代の中で、Arelionのような独立系のグローバルキャリアは、自社のネットワーク資産を最大限に活用し、巨大テック企業とは異なる価値を提供していく必要がある。特定の企業グループに属さない中立性と、長年培ってきた運用ノウハウこそが、彼らの生命線となるだろう。私たちの見えない深海で、通信インフラの未来を賭けた静かな競争は、これからも続いていく。

この記事は信頼性の高い業界情報源に基づき作成し、編集部が内容を確認・監修しています。お気づきの点はお問い合わせよりお知らせください。

よくある質問

海底ケーブルが切れたらインターネットは使えなくなりますか?
いいえ、多くの場合はすぐに使えなくなりません。多くのルートはループ状に設計されたり、別の代替ケーブルがあったりするため、通信は自動的に迂回して継続されます。ただし、一部地域で通信速度が低下する可能性はあります。
海底ケーブルの陸揚げ局はなぜ千葉や三重に多いのですか?
太平洋に直接面しケーブルの引き込みが容易な地理的条件に加え、漁業権の調整が比較的しやすく、地震などの災害リスクが低い安定した地盤が選ばれるためです。これらの地域は国際通信のハブとなっています。
なぜ日本のケーブルを海外の会社が所有しているのですか?
欧州からアジアまで、自社のネットワークだけで一貫した通信サービスを提供するためです。これにより、途中で他社の設備を借りる必要がなくなり、通信品質の管理やコスト競争力で優位に立つという戦略的な狙いがあります。

出典

海底ケーブル通信インフラITインフラ