海底ケーブルは290Tbps|衛星が敵わない理由
「海底ケーブルの容量はどのくらいか」という問いに、2025年に運用が始まる「APRICOT」が明快な答えを出しました。三重県志摩市から東南アジアへ伸びるこのケーブルは、1本で毎秒290テラビット(Tbps)を運びます。数千機の衛星を束ねたStarlinkでも届かない桁違いの数字であり、世界の国際通信の99%以上を海底ケーブルが担う理由が、ここに凝縮されています。
## 290Tbpsは映画1万本分|APRICOTが運ぶデータの正体
290テラビットと言われても、実感は湧きにくいはずです。2時間の高画質映画を1本あたり約25ギガビットと仮定すると、290Tbpsは1秒間に映画を約1万1600本ダウンロードできる速度に相当します。瞬きするより短い時間で、レンタル店の棚がまるごと手元に届く。それが、海底に沈められたたった1本のケーブルの上で日常的に起きていることです。
このAPRICOTに出資しているのは、Google、Meta、NTTという日米の巨大企業です。動画ストリーミング、クラウド、そして爆発的にデータを食うAIの普及が、通信量を私たちの想像を超えるペースで膨らませてきました。デジタル社会が一段進むたびに、それを足元で支えるインフラも一段太くなる。APRICOTは、その最前線に立つ一本なのです。
## 容量を跳ね上げた「12対のファイバー」という発想
なぜ1本で290Tbpsもの大容量を実現できるのか。鍵を握るのが、SDM(Space Division Multiplexing:空間分割多重)と呼ばれる技術です。
考え方そのものは、意外なほど素朴です。データが通る光ファイバーの道を、ケーブルの中に物理的にたくさん詰め込む。車線を増やせば渋滞が緩むのと同じ理屈で、ファイバーの本数を増やすほど一度に運べる情報は増えます。APRICOTでは、この束を12対も収めました。1本あたりの伝送効率を限界まで磨くだけでなく、束そのものを増やすという発想の転換が、容量を一気に押し上げたわけです。
光ファイバーの細さは髪の毛ほど。その極細の糸を12対、太さわずか数センチのケーブルに封じ込め、海底数千メートルの水圧と海流に耐えさせる。容量の話は、同時に過酷な深海環境と向き合う技術の話でもあります。
## 志摩からシンガポールへ|南シナ海を避けて引く理由
APRICOTの価値は、容量だけにとどまりません。むしろ通信業界が唸ったのは、その緻密なルート設計でした。
ケーブルは三重県志摩市を起点に、台湾、グアム、フィリピン、インドネシアを経由し、シンガポールへ至ります。データセンターが密集するシンガポール、人口が多くデジタル化が加速するフィリピンやインドネシア。急成長する東南アジアのデジタル経済圏と日本を直結する、新しい経済回廊と呼べる経路です。
ここで見逃せないのが、何を避けて引いているかという点です。政治的緊張が高まる南シナ海、地震や船舶の錨でケーブルが切れやすいと指摘される台湾海峡やバシー海峡。APRICOTのルートは、こうした危険地帯を巧みに迂回しています。特定の海域で災害や紛争が起きても通信を絶やさないための「ルートの多様化」こそ、海底ケーブル網の生命線。ライバルであるはずのGoogleとMetaが手を組み、巨額を投じる最大の動機も、依存先を分散させて自社サービスを守る保険にあります。
## Starlink全機を集めても、1本に届かない
「Starlinkのような衛星通信が普及すれば、海底ケーブルは要らなくなるのでは」。取材の現場でも、この問いをよく投げかけられます。結論から言えば、少なくとも今の技術では衛星が海底ケーブルを置き換えることはありません。
理由は、容量の絶対差です。APRICOT1本が290Tbpsを運ぶのに対し、数千機で構成されるStarlinkの全衛星を合算した総容量は、数十Tbps程度と推定されています。1本のケーブルが、衛星群まるごとを上回る計算です。世界の国際通信の99%以上が海底ケーブルを流れているという事実が、この差を何より雄弁に物語っています。
遅延(レイテンシー)でも、長距離では光ファイバーに分があります。低軌道(LEO)衛星は、従来の静止衛星に比べて遅延を劇的に縮めました。それでも、地上を最短距離で結ぶ海底ケーブルの物理的な優位は揺らぎません。電波が地上と宇宙を往復する間に、光は海の底をまっすぐ駆け抜けているのです。
## 高速道路とラストワンマイル|衛星が本領を発揮する場所
では、衛星通信は無力なのか。とんでもない、というのが現場の感覚です。両者は競合ではなく、役割がまるで違います。
海底ケーブルが担うのは、国と国を結ぶ「バックボーン(基幹回線)」。例えるなら大陸をつなぐ高速道路です。対して衛星が輝くのは「ラストワンマイル」、つまり利用者の手元へ届ける最後の区間、それも地理的に不利な場所でした。高速道路が通らない山間部や離島、海上の船舶、そして災害で陸上回線が寸断された被災地。そんな場所へ空から電波を届けられるのが、衛星の替えのきかない強みです。
太い幹線を海底ケーブルが、毛細血管の末端を衛星が受け持つ。両者が組み合わさって初めて、地球上のあらゆる場所がネットにつながります。どちらかが勝つ話ではなく、得意分野を分け合う補完関係なのです。
## 見えないインフラを、これから誰が守るのか
APRICOTは完成形ではなく、通過点に過ぎません。生成AIの学習と推論がデータ需要をさらに押し上げ、世界では毎年のように新しい大容量ケーブルの計画が立ち上がっています。容量競争はまだ序盤戦です。
一方で、容量が増えるほど切断された時の影響も重くなります。錨や漁網による偶発的な事故、そして意図的な破壊への懸念。海の底に沈み、普段は誰の目にも触れないインフラを、どう監視し、どう守り、どう素早く修復するか。次の10年で問われるのは、太さよりもむしろ、この「しぶとさ」かもしれません。私たちが当たり前に動画を再生できる裏側で、深海の一本一本が静かに世界を背負い続けています。
この記事は信頼性の高い業界情報源に基づき作成し、編集部が内容を確認・監修しています。お気づきの点はお問い合わせよりお知らせください。
よくある質問
- もし海底ケーブルが切れたらインターネットは使えなくなりますか?
- すぐに使えなくなるわけではありません。重要なルートは複数のケーブルで冗長化されており、切断が起きるとデータは自動的に別のルートに迂回します。ただし、大規模な障害が複数箇所で発生すると、通信速度の低下や一部サービスの不安定化につながる可能性はあります。
- 海底ケーブルと衛星通信(Starlinkなど)、結局どちらが速いのですか?
- 通信の「速さ」には容量(太さ)と遅延(速さ)の2つの指標があります。データの「太さ」である容量は海底ケーブルが圧倒的に大きく、一度に大量のデータを送れます。通信の応答速度である「遅延」は、長距離の場合、物理的に最短距離を結ぶ海底ケーブルの方が有利です。
- なぜGoogleやMetaのようなIT企業が自ら海底ケーブルに投資するのですか?
- 自社のクラウドサービスやSNSで発生する膨大なデータを安定して世界中に届けるためです。他社のインフラに依存するより、自ら敷設した方がコストを抑えられ、ルートの多様化によるリスク分散も可能になります。
出典
- APRICOTケーブル解説: APRICOTケーブルのルート、12ファイバーペア・290Tbpsという容量、SDM技術の採用、2025年運用開始、Google・Metaらが協業する理由
- 海底ケーブル vs 衛星通信: 海底ケーブルと衛星通信の容量、遅延、コストの比較、それぞれの用途(バックボーン vs ラストマイル)、補完関係