海底ケーブルが切れたら?深海を走るインターネットの裏側
## 世界の通信の99%を支える巨大インフラ
世界の国際通信の99%は、地球の海底に張り巡らされた光ファイバーケーブル網によって支えられている。多くの人が想像する衛星通信が担う割合は、実はごくわずかだ。私たちが日常的に利用する動画配信、クラウドサービス、海外とのビデオ会議。その膨大なデータは、深海に眠る直径わずか数センチのケーブルを、光の速さで駆け巡っている。
もし、この生命線ともいえるケーブルが切れたらどうなるのか。年間100件以上発生する切断事故にもかかわらず、なぜ私たちのインターネットは止まらないのか。この記事では、海底ケーブルの仕組みから、GoogleのようなIT巨人が自ら敷設に乗り出す理由、そして知られざるインフラ防衛の最前線まで、その壮大な世界の裏側を解き明かす。
## Googleが9620kmのケーブルを敷いた日
2008年、Googleは歴史的な決断を下した。通信事業者ではないIT企業として初めて、太平洋を横断する海底ケーブルプロジェクト「Unity」への出資を表明したのだ。これは、インターネットの世界で大きな地殻変動が起きた瞬間だった。2010年に運用を開始したUnityは、千葉県千倉と米国のロサンゼルスを9,620kmで直結する。当時としては最先端の7.68Tbpsという大容量を誇り、急増するGoogleのサービス需要を支える大動脈となった。
このプロジェクトはKDDIなどとの協業で実現したが、IT企業が自らインフラを所有する時代の幕開けを告げる象徴的な出来事であった。Unityを皮切りに、Googleは「FASTER」や「JUPITER」といったケーブルにも次々と出資を重ねていく。
そして2020年、Googleは日本(三重県志摩)とグアム、オーストラリア(シドニー)を結ぶ約9,500kmの「JGA」ケーブルを、今度は単独所有で開通させた。このケーブルは、Google Cloudの東京リージョンとシドニーリージョンを直結し、クラウドサービスの品質を自社のコントロール下に置くための戦略的な一手だ。クラウド事業者が自らインフラを握ることで、ユーザーはより高速で安定したサービスを享受できる。海底ケーブルは、もはや通信会社だけのものではなくなったのだ。
## 日本とASEANを結ぶ10400kmの通信大動脈
Googleのような巨大IT企業による単独所有が目立つ一方、従来ながらの「共同所有」モデルも依然として重要な役割を果たしている。その代表例が、2016年に運用を開始した「Asia Pacific Gateway(APG)」だ。
APGは、NTTやKDDIを含むアジア太平洋地域の通信事業者11社が共同で建設・運営するコンソーシアム方式のケーブルである。千葉県丸山を起点に、韓国、中国、香港、台湾、ベトナム、タイなどを経由し、シンガポールに至る全長約10,400km。まさにアジアのデジタル経済を結ぶ大動脈だ。54.8Tbpsという当時最大級の容量で、著しい経済成長を遂げるASEAN諸国の爆発的なインターネット需要を支えている。
9つの国と地域にまたがる陸揚げ地点の調整や、各国の法規制への対応など、その運用は単独所有に比べて格段に複雑だ。しかし、巨額の建設コストと運用リスクを参加企業で分散できるメリットは大きい。特定の企業に依存せず、多くの国と事業者が連携してインフラを支えるこのモデルは、デジタル社会の安定性確保に不可欠な選択肢であり続けている。
## 使われない「ダークファイバー」になぜ価値があるのか?
海底ケーブルを敷設する初期コストは、太平洋横断クラスで数百億円にも上る。そして一度敷設してしまえば、後から物理的に光ファイバーを追加することは不可能に近い。そのため、ケーブル事業者やIT企業は、建設時に将来の需要増を予測し、あえて「予備」の光ファイバーをケーブルに含めておく。
この、まだ光信号が通っておらず、使われていない「眠れる光ファイバー」こそが「ダークファイバー」だ。使われていないのになぜ価値があるのか。その答えは、将来の拡張性にある。データ需要が逼迫した際、ダークファイバーがあれば、海底をいじることなく陸揚げ局の送受信装置を更新・追加するだけで、比較的低コストかつ迅速に回線を「ライトアップ(開通)」させることができるのだ。
特にGoogleやMetaのようなクラウド事業者は、このダークファイバーを積極的に購入、あるいは長期的に借り上げる。自社専用線として利用できるためセキュリティが高く、最新の伝送技術を自由なタイミングで導入できるからだ。ダークファイバーは、単なる予備ではない。未来の通信需要を見据えた、極めて戦略的な「資産」なのである。
## ケーブル切断を防ぐ国際組織「ICPC」の地道な活動
読者の最大の関心事は「ケーブルが切れたらどうなるのか」だろう。実は、海底ケーブルは漁船の底引き網や大型船の錨(いかり)によって、世界中で年間100件以上も損傷・切断されている。それでも私たちがパニックに陥らないのは、通信経路が世界中に張り巡らされた多数のケーブルによって冗長化されているからだ。切断が検知されると、データは瞬時に別のケーブルを経由する迂回ルートに切り替わる。
しかし、事故は未然に防ぐに越したことはない。そのために地道な活動を続けているのが、1958年に設立された「国際ケーブル保護委員会(ICPC)」だ。大西洋を横断する電信ケーブルの損傷事故をきっかけに生まれたこのユニークな組織には、ケーブル所有者だけでなく、政府機関、さらには事故原因となりうる漁業団体や海運業者までもが参加している。
ICPCは、ケーブルルートを明記した海図を漁業者に配布したり、投錨禁止区域の周知を徹底したりと、国際的な啓発活動を展開する。彼らに法的な拘束力はない。しかし、長年かけて蓄積されたベストプラクティスは世界中の関係者に尊重され、見えないところで世界の通信インフラを守る防波堤となっている。近年では、偶発的な事故だけでなく、地政学的な緊張を背景とした意図的な破壊やサイバー攻撃といった新たな脅威への対応も、重要な課題となっている。
## 戦略資産としての海底ケーブル
海底ケーブルの世界は、今この瞬間も進化を続けている。GoogleはJGAに続く「JGA South」の計画を進め、アジアではAPGの後継となる「ADC」や「SJC2」といった次世代ケーブルの建設が着々と進む。これらは単なる容量の増強ではない。通信ルートを多様化させることは、特定の地域で大規模な災害や紛争が起きた際の通信の強靭性を高めることにも直結する。
インターネットの物理的な根幹をなす海底ケーブルは、もはや単なる通信線ではない。それは国家間の経済連携を深め、企業の国際競争力を左右し、時には安全保障の鍵ともなる極めて重要な戦略資産だ。私たちが何気なくスマートフォンをタップする、その指の先。その向こう側には、深海を駆け巡る壮大なインフラと、それを支える人々の絶え間ない努力が存在しているのである。
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よくある質問
- 海底ケーブルが切れたらインターネットは止まりますか?
- ほとんどの場合、止まりません。通信は別のケーブルを経由する迂回ルートに自動で切り替わるためです。ただし、特定の地域では通信速度の低下や不安定化が起こる可能性があります。
- 海底ケーブルの敷設にはどのくらいの費用と時間がかかりますか?
- ケーブルの距離や容量によりますが、太平洋を横断するような大規模プロジェクトでは数百億円から1000億円以上に達することもあります。敷設には専用の敷設船を使い、数ヶ月から1年以上かかります。
- ダークファイバーとは何ですか?なぜ「光ってない」のに価値があるのですか?
- ダークファイバーとは、まだ光信号が通っていない未使用の光ファイバーのことです。将来の需要増に備えてあらかじめ敷設されており、必要な時に迅速かつ比較的安価に通信容量を増やせるため、資産としての価値があります。
出典
- 資料1: Unity海底ケーブル解説: 2010年に運用開始したGoogle初のケーブル出資プロジェクト「Unity」は、千葉県千倉とロサンゼルスを9,620kmで結び、容量は7.68Tbpsだった。Googleの出資決定は2008年に行われた。
- 資料2: JGAケーブル解説: 2020年に開通したGoogle単独所有の「JGA」ケーブルは、志摩、グアム、シドニーを結ぶ約9,500kmのルートで、容量は36Tbpsに達する。
- 資料3: ICPC(国際ケーブル保護委員会)とは: 国際ケーブル保護委員会(ICPC)は、1958年に大西洋でのケーブル損傷事故をきっかけに設立された。
- 資料4: APGケーブル解説: 2016年に運用を開始した「APG」ケーブルは、NTTやKDDIなど11社が参加するコンソーシアム方式で、日本からシンガポールまで約10,400kmを結び、容量は54.8Tbpsを誇る。
- 資料5: ダークファイバーの経済学: ダークファイバーとは、ケーブル敷設時に将来の需要増を見越して敷設された、まだ光信号が通っていない未使用の光ファイバーを指す。