海底ケーブル新時代:360Tbpsとサメ、盗聴の攻防

海底ケーブル新時代:360Tbpsとサメ、盗聴の攻防

基礎から押さえる

2025年、日本とアメリカを結ぶ太平洋に、1秒間に映画約9万本分に相当するデータを伝送できる海底ケーブルが誕生する。NTTグループとNECがタッグを組んで建設する「JUNO(ジュノ)」だ。この次世代海底ケーブルは、私たちの生活を支えるインターネットの裏側で進む、壮大な技術革新と地政学的な駆け引きを象徴している。なぜ今、これほど巨大な情報ハイウェイが必要なのか。その深層には、爆発的に増え続けるデータ需要と、それを巡る国家間の静かなる戦いが横たわっているのだ。 ## 毎秒360テラビット、JUNOが繋ぐ日米の未来 JUNOが持つ「設計容量360Tbps(テラビット毎秒)」という数字は、従来の太平洋横断ケーブルを大幅に上回る性能を意味する。これは、ケーブル内に収められた光ファイバーの束(ファイバーペア)を、従来の16対から20対へと増やし、さらに1ファイバーペアあたりの伝送容量を向上させる最新技術によって実現された。【引用1】 この巨大なデータ容量が必要とされる背景には、日米間でやり取りされるデータ通信量の爆発的な増加がある。動画配信サービスやオンラインゲームはもちろん、企業の活動を支えるアマゾン ウェブ サービス(AWS)やGoogle Cloud Platform(GCP)といったクラウドサービスの普及が、その大きな要因だ。これらのデータセンターの多くはアメリカにあり、日本のユーザーがサービスを利用するたびに、膨大なデータが太平洋を往復している。 JUNOのルートは、日本の三重県志摩市と千葉県南房総市から、アメリカのカリフォルニア州とオレゴン州を結ぶ約10,000km。特に三重県の陸揚げ地点は、南海トラフ巨大地震などの災害リスクを考慮し、既存のケーブル網が集中する首都圏や東海地方から地理的に離れた場所として選ばれた。これは、日本の国際通信における冗長性と耐障害性を高めるという、きわめて戦略的な判断である。【引用2】 このプロジェクトを推進するために、NTTは「Seren Juno」という独立した法人を設立した。巨大な投資が必要となる海底ケーブル事業において、柔軟な資金調達や迅速な意思決定を可能にするための仕組みだ。そして建設を担うのが、長年にわたり海底ケーブル技術をリードしてきたNEC。ケーブルの製造から海洋調査、敷設工事までを一貫して手掛ける世界でも数少ない企業の一つであり、日本の技術力がこの巨大プロジェクトを支えている。 ## 海底ケーブル最大の敵はサメ?深海の意外な脅威 エベレストよりも深い水深8,000mの海底に敷設されるケーブルは、常に過酷な環境と危険に晒されている。その意外な脅威として、しばしば「サメ」が話題にのぼる。 実際に、過去にはサメが海底ケーブルを噛み付く映像が撮影されたこともある。なぜサメがケーブルを攻撃するのか。はっきりとした理由は不明だが、ケーブルから発生する微弱な電磁場を獲物の発する生体電気と勘違いしているという説や、単なる好奇心で噛みついているという説が有力だ。2014年には、Googleが太平洋のケーブル網をサメの歯から守るため、ケブラー素材で強化した「対サメ防護ケーブル」を導入したことも報じられている。【引用3】 しかし、この話には続きがある。実は、サメによる被害は海底ケーブルの故障原因全体のごく一部に過ぎない。ある調査によれば、その割合は全体の1%にも満たないという。現代のケーブルは、鋼線を何重にも巻き付けた強固な鎧(アーマー)で保護されており、浅い海域では海底に埋設されるため、サメの歯が内部の光ファイバーに到達することはほとんどないのだ。 では、真の「主犯」は何か。それは、漁船の網や船の錨だ。海底ケーブルの故障原因の実に3分の2以上が、こうした人間活動によるものとされている。広大な海の底で、直径わずか数センチのケーブルを守り抜くことの難しさがうかがえる。サメの襲撃はセンセーショナルだが、現実の運用現場では、より地味で日常的なリスクとの戦いが続いているのである。 ## 海底ケーブルの盗聴は可能か?冷戦から現代までの攻防 物理的な損傷以上に深刻なのが、ケーブルを流れる情報を狙った盗聴のリスクだ。海底ケーブルを巡る諜報活動の歴史は、冷戦時代にさかのぼる。 1970年代、アメリカの諜報機関は「アイヴィー・ベルズ作戦」と呼ばれる極秘作戦を実行した。米海軍の原子力潜水艦がオホーツク海の海底に潜航し、ソ連軍の通信ケーブルに特殊な盗聴装置を取り付けたのだ。この作戦により、アメリカは数年間にわたりソ連の暗号化されていない軍事情報を手に入れていたとされる。これは、銅線でできた当時のケーブルだからこそ可能だった芸当だ。【引用4】 現代の海底ケーブルの主役は光ファイバーであり、その盗聴は技術的に極めて難しい。光信号を途中で分岐させようとすると、光が著しく減衰してしまい、通信事業者側に異常として検知されやすいからだ。ケーブル自体を物理的にタップする「侵襲的盗聴」は、事実上不可能に近いと言われている。 だが、これで安心というわけではない。2013年、エドワード・スノーデン氏の告発によって、米国家安全保障局(NSA)などが海底ケーブルの「陸揚げ局」に接続し、インターネットの根幹を流れる膨大なデータを合法・非合法に収集していたことが明らかになった。ケーブルそのものではなく、データが集中する拠点を狙う。これが現代の国家による情報収集の現実だ。【引用5】 この脅威に対抗するのが、暗号化技術である。たとえデータが傍受されたとしても、その中身が強固に暗号化されていれば解読は困難だ。現代のインターネット通信の多くはSSL/TLSといった技術で暗号化されており、セキュリティの攻防は日々続いている。将来的には、理論上解読が不可能な「量子暗号通信」の導入も期待されており、海底ケーブルにおけるセキュリティ技術は新たな次元へと向かおうとしている。 ## データが地政学を動かす時代の戦略的資産 JUNOケーブルの建設、サメによる攻撃という意外な事実、そして国家による情報収集の脅威。これらを通じて見えてくるのは、海底ケーブルがもはや単なる通信インフラではないという現実だ。 それはデジタル社会における経済と安全保障の生命線であり、そのルートや所有権は国家間の力関係をも左右する「戦略的資産」である。特定の国が所有・管理するケーブルにデータ通信が過度に集中すれば、有事の際に通信を遮断されたり、情報を傍受されたりするリスクが高まる。近年、アメリカと中国の間で海底ケーブルプロジェクトを巡る覇権争いが激化しているのは、このためだ。 日米が主導するJUNOのようなプロジェクトは、特定の国への依存を避け、信頼できるパートナーとの間で安定したデジタル経済圏を維持するという、経済安全保障上の明確な意図を持っている。普段、私たちが何気なくスマートフォンやPCでアクセスしているウェブサイトやクラウドサービスの裏側には、こうした国家レベルの思惑と、数千億円規模の投資、そして最先端の技術力が渦巻いている。 インターネットという仮想空間を物理的に支える、海底に眠る巨大な神経網。その存在を意識することは少ないかもしれない。だが、その一本一本が、明日の世界の形を静かに、しかし確実に規定しているのである。

この記事は信頼性の高い業界情報源に基づき作成し、編集部が内容を確認・監修しています。お気づきの点はお問い合わせよりお知らせください。

よくある質問

次世代海底ケーブル「JUNO」はなぜ必要なのですか?
日米間のデータ通信量がクラウドサービスの普及などで急増しており、既存ケーブルの容量では追いつかなくなるためです。日本のデジタルインフラの安定性を高め、災害に備える戦略的な意味も持ちます。
サメは本当に海底ケーブルを頻繁に攻撃するのですか?
過去にサメがケーブルを噛む事例はありましたが、現代のケーブル障害全体に占める割合は1%未満と非常に稀です。主な原因は漁業活動や船の錨によるもので、サメの脅威は誇張されがちです。
海底ケーブルを流れる情報を盗聴することは可能ですか?
光ファイバーケーブル自体を物理的にタップして盗聴するのは極めて困難です。しかし、ケーブルが陸地に接続する「陸揚げ局」でデータをまとめて傍受することは技術的に可能で、国家レベルの監視活動が過去に報告されています。

出典

海底ケーブル通信インフラJUNOサイバーセキュリティ地政学